303号室から愛をこめて

何が楽しくて生きているのか

バタフライエフェクト

 

エロマンガ先生』を観た日の朝、まさか私が今日『エロマンガ先生』を一気に観るとは思っていなかった。


某オードリー春日さんいわく、これが人生らしい。
「朝起きたとき、今日まさか春日に会えるだなんて考えもしなかっただろう。でもそれが現実に起きてしまう。これが人生だ。」といったニュアンスで小学生に説いていた。

 

夜、中華料理屋で炒飯を食べながら、朝起きたときは夜に中華料理屋で炒飯を食べることになるなんて考えもしなかったが、でもそれが起きてしまっている… これが人生、らしい。
春日さんが言うのだから間違いない。


まあ、中華料理屋で炒飯を食べることになるなんて考えもしなかった朝から、中華料理屋で炒飯を頼むまでのあいだに、何かしらのキッカケが存在するはずだ。
それを境目に人生が良くも悪くも動く。たとえそれが遡ったとしてもフラグと認識できない程ほんの些細なことであれ、その事象が起きてしまったらそれが起こる前の世界には戻れないということでもあるのではないかと。

 

東の蝶の羽ばたきが西の台風を生むのだ。

 

 

 

エロマンガ先生』を観たあの日、プライムビデオでの無料配信がその当日中に終わることを知った、それがキッカケだと言った。
終わることを知ってしまった私は知る前の世界に戻ることはできなかった。
結果、12話一気に観終えた。
それからというもの、他のラブコメ作品も見漁ってはブヒブヒしている。そして毎回どうしてラブコメ主人公は大したことしてないはずなのにモテモテになるんだろうとモヤモヤしている。それもまた趣深い。

 

モテモテのラブコメ主人公と正反対に位置する私はモヤモヤしながら今日も今日とて日課を通り越してライフワークになりつつあるTinderでスワイプを始めると間もなく新しいマッチが見つかった。見覚えない30代の主婦である。
画質、年齢、服装から推定10年以上前のプリクラと、フェイスラインをゴリッゴリに削る加工を施した自撮りをアイコンにし、旦那を仕事に送り出し子供を保育所に預けている平日昼間での密会を希望するようなプロフィール… 言わずもがな誤スワイプである。

誤スワイプがマッチしてしまったようだ。やれやれ。


メッセージが送られてきたので無視するのもどうかと思うから、ひとまずやり取りを始めてみた。想像どおりと言うべきだろうか、何の面白さも感じられない。近所の小さな公園の古びた遊具にKURE 5-56を差して回ったほうがよっぽど暇つぶしになるうえ地域貢献にもなり有意義なのではないかと思えたのだが、漕ぐたびにギコギコ音が鳴らないブランコはもはやブランコではなくなってしまう。私一人のエゴによってアイデンティティを奪われるものなどあってはならない、ようやっと冷静さを取り戻した。


その後も数日やり取りを続けたが相も変わらずつまらなく、子供達の遊具からアイデンティティを奪ってしまえよと囁く悪魔が何度も顔を見せてくる。面白味に欠けるやり取りが何気なく続いてしまっている状況に戸惑いを隠せないでいたところ、「明日会えませんか?」とダメ押しのメッセージを受信する。
ひとつ訊ねてもいいかな。君は私とのやり取りのどこに魅力を感じてしまったのだい。どのように感じるも君の自由だ。僕は責めるつもりもなければ君を正すつもりもない。やれやれあいにく僕はそんな術など持ち合わせていないのだから。
…などと言えるわけもないが私は「やれやれ系主人公」を気取らざるにはいられなくなっていた。
明日空いてるし試しに会ってみるか。やれやれ。

 

当日を迎えた。やれやれ。
やれやれ、待ち合わせ場所のコンビニエンスストアに車を走らせた。平日昼間の市街地は混んでて嫌になるね。やれやれ。
14時、やれやれ。指定されたヤレヤレイレブンに到着。ドリップのアイスヤーレーをブラックでやれやれしながら煙草に火を点けてやれやれして待つ。
この時点ですでに脳内の「やれやれ指数」は自己ベストをマークしていた。やれやれ言うことにも疲れ始めた、やれやれ。

煙草がやれやれした頃、道路のやれやれ側からベージュ系のくたびれたやれやれワンピース、くすんだやれやれ茶髪の幸薄そうなやれやれ女性がこちらに向かってやれやれしてきた。紛うことなき、やれやれの化身であった。

私に気付いてないようだったので手招きして助手席に座らせる。何か妙な緊張感があり言葉に詰まったが、はじめましてと自己紹介を簡潔に済ませぎこちない会話をし始めた。
聞くところによると、普段から色んな男と会ってはホテルに行き、事を済ませてから保育園に迎えに行く生活をしているらしく、午前中も25歳のイケメンと済ませ「まあまあだった」という感想は抱いたそうだ。
話を聞いた上で私の抱いた感想はというと、ヤりたてホヤホヤの人妻を助手席に乗せたこの車がディーラーからの代車で心からよかったということ。

仮にマイカーだったら穏やかな顔はしてられなかったと思う。

 

正直ここまで話を保たせたのだけで精一杯、次の話題を切り出せないでいると気まず過ぎる無音が車内にたちこめた。
もう無理、帰ろ帰ろ、早く帰ってラブコメに浸って不毛なこの時間を中和しよ、ね?そうしよ?? と私のなかのブヒブヒが駄々をこねはじめていると、助手席の女性がようやく自分から話し始めた。

 

 

 

「髪短くしたんですね」
「全然印象違って正直どうしたらいいのか…」
「わたし面食いなんですよね」

 

 

 

…言いたいことは沢山ある。が、ここはグッと堪えよう。

たしかに、私はバカほど髪を切った。14年ぶりのバカ短髪である。雰囲気系の命ともいうべき中途半端な長さの髪の毛を切り落とした。すなわち雰囲気系の私は死んだ。もう私はただのバカ短髪である。洗顔フォームでそのまま頭まで洗えてしまうんじゃないかと錯覚するほどのバカ短髪、髪の毛よりも長い毛が身体中の至るところにありそうなほどのバカ短髪。
企業の最終面接で遠回しに髪切れと言われた私は忠実にバカ短く切り散らかした。そしてお祈りメールをいただいた。令和のニューディール散髪である。
バカ短髪にしたくせにTinderのアイコンは数年前に撮ったバチエモゆるふわ雰囲気おしゃ茶髪ミディアムである。これは詐欺と言われて仕方ない、私の落ち度である。さらに言えば、その写真の当時から現在15kg太っている。完璧な怠惰である。
髪も体型も印象も違えばそれは別人である、弁明の余地はない。
面食い発言に対しても申し訳無い節はある。雰囲気系ゆえ横顔しか出してないため、騙されたと言われればそれも甘んじて受け入れるしかないだろう。素直に謝罪である。

 

…ここまで私はよく堪えた。
言いたいことは何も言わず、腑に落ちない苦汁を心ゆくまで静かに味わった。そして実に紳士的に、すぐに自宅まで送り届けて帰宅した。話した時間はおよそ7分、7分で解散である。
よく我慢できた。これもきっと私が長男だからだろう。私は長男だから我慢できたけど、次男だったら我慢できなかった。

 

アイコンに関しては百歩譲ってお互い様としてもいい。

でもあなたのゴリッゴリの加工写真、予防線としてこれでもかと脳内で加工分を差し引いて覚悟していた。しかしそれを超えてきた。見積もった加工分の倍以上の加工されてちゃそれはもうフィクションの域だ…
それに、面食いは僕も一緒だ… 考えてほしい。一度でも私と目が合ったかい?
てかそもそも誤スワイプ… つまり書類選考で不採用にするつもりだったということだ。

 

言いたいことも言わず、堪えきって我慢しきった私を褒めて慰めてほしい。

兄ちゃん大好きな義理の妹かツンデレの先輩か生意気な後輩が膝枕で頼む。

 

 

 

時は戻らない。

やれやれ不服ではあるが、この不毛な7分間も消化吸収して己の血肉にするしかない。

大部分は排泄するし、水に流すのだけれど、別にうまいことが言いたいわけではない。
前回も言ったように、これもまた私の選んだ人生である。
朝起きたとき、誰がヤリマン不倫人妻に遠回しに「イケメンじゃないから帰りたい」と言われる日になると想像できるだろうか。
どうしてこのような事態に陥ったのか、そうさせたトリガーは何だったのか。
ブコメの見すぎ、バカ短髪、誤スワイプ、アイコンの写真…

何が原因でこの結果を引き起こしたとも、何が作用して私にこの決断に至らせたのかとも言えない。
当然だろう。過去を変えることも、その変えた未来を確認することもできないのだから。
私にできることは、中華料理屋で晩飯に炒飯を食べながら

「朝こうなるとは考えもしなかったな」と一喜一憂を噛み締めることだけ。

 

 

 

2つの道があったとする。
そして左の道を選んで失敗した。
そのとき、もし仮に右の道を選んでいたらどうなっていたか。
その答えは、「大失敗」 である。

 

そう、解釈次第。

西の台風は東の蝶の羽ばたきによるもの、なのかもしれないね。