303号室から愛をこめて

何が楽しくて生きているのか

ゼロサム

 

良いことと悪いこと、トータルで半分になるってやつ。

あれが本当なら僕の残りの人生は圧倒的勝利なのですが、

きっとそういうことではないのだろうね。

 

 

何年も昔のこと。

志磨遼平がドレスコーズの唯一のメンバーになり、

1人体制のドレスコーズで「1」というアルバムを出した。

 

リード曲の「スーパー、スーパーサッド」から察してはいたが、

そのアルバムを聴いて志磨の正直な気持ちが痛いほど伝わってきた。

 

不器用でこだわりが強い人間だもの、衝突しないわけがない。

譲れないところ譲らないだろうし、本気だから感情的にもなるだろう。

正直、3人脱退もそこまで驚きはしなかった。

思ったより早かったな、くらい。

 

僕は志磨のこの女々しいくらいの後悔を感じて安心した覚えがある。

 

 

 

僕は部屋の片づけが苦手だ。というよりも物が捨てられない。

記憶が薄れていくことにも恐怖心がある。

過去に縛られているのだと思う。

 

未来に進むために断捨離は必要だと思っていたがなかなかできずにいて。

それは物だけに限らない。人や思い出もそう、抱えすぎては荷物になる。

奇しくも欲していたタイミングで気付いたら勝手に清算されていた。

 

僕はいま、とても、とても悲しい。

本来なら自分の行動や言動を振り返って反省すべきなのだろう。

だが、きっとしない。

今まさに感じている悲しいというこの感情を噛みしめて噛みしめるだけ。

心の中にある「ごめんね」も伝えないままで。

 

 

過去は過去で良いものとしておくべきだと思っている。

過去のそのときの自分が感じていた気持ちを、

今の自分の気持ちで書き換える必要なんてどこにもない。

今がどんなにつらくても、せめて良い記憶のままにしてあげよう。

過去は否定してはいけない、過去は消えないのだから。

 

色気のない言い方をすれば、それはそれ、これはこれ、である。

今まさに悲しい。

それは自分のせいでもあり、しんどいとも感じている。

でもそれでよかったとも思っている。

過去は過去として書き換えることなく心に留めておく。

そして大切な人たちを、新しく出来た縁を、愛をもって大事にする。

 

 

新しく出来た縁というのがまた奇妙なもので。

言い方悪いのを承知で言うが、

新しく迎えるため枠を明け渡すかのごとく旧縁が壊れた。

気持ち悪いほどのタイミングではあるが、

人生とはこういった現象が往々にして起こる。

だからやめられない。

 

この前、ある人に言われてしまった。

話を聞いていると死んじゃうんじゃないかと時折思う、と。

 

普通の人なら死んでるかもなとか思いつつも、死ぬならいつでもできるし、

それよりも人生は不条理でふざけ倒してて面白いからやめらんねえ。

これが僕の回答。

 

 

体感、なんだか総数や平均値が決まっていて、

勝手に帳尻合わせられてる風な気配がすごいのに、

幸や不幸ってのは偏りがあるように見えて仕方がないんだよな。

 

それはきっと自分の感じ方次第でいかようにも変わるんだろうけどさ。

でも僕は「今日はパチ屋に行かなかったから負けなかった、つまり0円勝ち」

みたいな思考法で無理やり幸せの度合いを上げたくなんてないのだけれど。

 

まあ、そんなクソみたいな毎日でも文章にしてみたり

多少盛りながら話してみたりしてたら案外悪くないなとも思えるわけで。

 

僕という人間がコンテンツとして消化してもらえる、

そんな日が来たらどれだけ幸せだろうか。

 

そう思えば不幸も不条理も両手で抱きしめてあげたいと思えるね、おいで。