303号室から愛をこめて

何が楽しくて生きているのか

約束

じゃあ二年後。達者でな。



いつも一緒に飲んでいた350mlの缶チューハイを片手に夜道を歩いた。餞別としてこれを渡してくるあたりが相変わらず憎い。終電を逃した夜はまだ寒く、冷えたレモンサワーを持つ手の感覚は酔ってもいないのにほとんどない。

自宅まで22km、歩いておよそ四時間半。そして今日は日付が変わって金曜日。帰宅だけできりゃいいってもんじゃない。相も変わらず阿呆らしいね。早速、もらった缶を開けた。飲まなければやっていけないさ。


彼の家には何度も邪魔していた。一人で住むには少し広いくらいで、綺麗に整頓された居心地の良い部屋。壁にマスキングテープで“創生樹”が描かれているのも個人的には好きだった。通い慣れているはずなのに、やはり車と徒歩では全く違う光景だ。愛車で一瞬だった道のりも、歩いてみるとあまりにも冗長に感じられる。

江戸川に架かる最も新しい橋の上。こんな時間にこんな場所を歩いている物好きなどいるわけもなく、一人淡々と緩やかに弧を描き岸と岸を繋ぐ建造物をゆく。暗闇で正確にはわからないが、左に架かっている橋を見るに案外高いところを渡り歩いているのだわかった。

橋の中央あたりまで来ただろうか。欄干に手をつき酒を飲み干した。そして下を見た。
川の色は夜の闇と混ざり何色をしているのかわからない。夜の江戸川には夜が流れているのかもしれないとさえ思った。距離感も当然ながら掴めない。仮に江戸川に流れているのが夜だとしたら、欄干にもたれる僕も夜の流れの中なのだから距離はそうないだろう。次の瞬間には飛び降りていた。

魔が差すとはこういうことなのか。川に飛び込むと水面と川底、二種類の身体を打つ痛みを味わうことになると知った。想像よりも距離があったらしく、着水時の張り手を食らったような痛みは二度と味わいたくない。

江戸川にはしっかり水が流れていた。そして急速に体温を奪おうとしてくることを学んだ。緩やかに見えていたが入ってみると案外簡単に流されていく。入り慣れた海水とは勝手が違うし、ジーンズとダウンが水を吸って重い。
だけど僕は大人だから。自分のケツは自分で拭けて当然にならなければならない。声を上げたところで誰も手を差し伸べてはくれない。こんな真夜中、誰も彼もが夢の中で想い人とよろしくやっているだろうよ。


だいぶ流されたが岸に着いた。びたびたな服を軽く絞りながら段差に腰掛ける。絞ったって重いし寒いし気持ち悪い。
携帯も財布も煙草もしっかり水を吸っただろう。きっと無いなら無いで慣れてしまいそうにも思えた。いや前言撤回。煙草は慣れそうにない。

携帯は問題なく動作した。気休め程度だと思っていた防水機能がきちんと働いていることに少々驚きつつ、せっかく動くのだからと地図アプリで最短ルートを調べてみた。
おおむね自分が歩こうとした道が正解だったが、現代のコンパスは大通りを少し内に入った怪しい工場地帯を通り、三つの公園を突っ切るよう指示している。おそらく二度と歩くことのない道だ。であれば一度くらい歩いてみたいと思うのが普通ではなかろうか。


ナビに言われるがまま大通りから逸れて薄暗い細い道に入っていく。道なりに進んでいくとひとつふたつと何を営んでいるのかさっぱりわからない工場が現れた。
どの敷地にも古びた大型車両が並んでいる。しかしここら一帯に人気は全くなく、僕がもう少し華奢だったら口を押さえられトラックの間に連れられ姦されていたに違いない。

不気味な工場地帯を抜けかけると先ほどの大通りが見えた。思うに大した時短にはなっていないのだろう。
左側には古びた壁が続いており「タイヤ売ります」という文言と携帯電話の番号が適当な間隔で書かれている。暴走族の落書きで使うスプレーで書かれているそれを冷ややかな目で見ていた。ここに電話する人なんているのだろうかと。

大通りに合流して再び脇道に入り、まずは大きい自然公園を、そして児童公園、最後は公園というよりもマンションの敷地内のようなガーデンスペースを進まされ、ようやく見覚えのある線路沿いに出た。
おそらく隣駅付近だろう。ここまで約四時間ぶっ通しで歩いてきたわけだが、はじめて疲れを感じた気がする。当然、服は乾かない。底冷えするはずの夜明け前だが歩き続けているおかげで濡れた服を着たままでも身体は暖かい。しかしここで歩みを止めたら一気に熱を奪われることになるだろう。先の方に捉えたコンビニの明かりに首を振り、休むことなく歩くことを決めた。



五時過ぎ、帰宅。ほぼナビアプリの到着予定時間通りだった。四時間半にわたる深夜の散歩を終えた私は、すぐに湯船にお湯を張った。
濡れた服を洗濯カゴに放り、全裸で浴室の椅子にぐったり座り、湯が溜まるのを待った。遠かった、歩いてみると本当に遠かった。疲れが一気にのしかかって来た。なんとも言えない感情の波も一気に押し寄せて来た。

湯船が一杯になったのを見てシャワーを頭から浴びた。熱いくらいのシャワーがとても心地よかった。全身を洗い終え、入浴剤を浴槽に沈めて自分も入る。
生き返った。身も心も全てほぐれていく。人間の身体の構造について知識を持ち合わせていないのだが、じきに僕の身体はどんどん解けていって最後には原形を留めることなく消えてしまう、そんなイメージがぼんやりとした頭にふわっと浮かんで、うやむやになっていった。


気を失っていたようだ。さっきまで温かかった風呂もすっかりぬるくなっていた。再度熱いシャワーを頭から浴び直して出て時計を見ると七時半。ちょうど良い時間だった。髪を乾かし着替えて出社した。



バスに揺られながら昨晩を少し思い返してみた。
昨日はニ月二十五日。奇しくも一年前、京都に発った日である。あの303号室に住み始めた日だ。
あの日の僕はちょうど一年後にこんなことになっているだなんて微塵にも思っていなかった。そう思ったら気が抜けた。まったく、何が楽しくて生きているのか。


親友と二年後に再会しよう約束を交わした。
不本意な提案だった。しかしそうするしかなかった。けれども冷静になってみれば、一年前に意気揚々と飛び出したにもかかわらず無様に生き恥を晒している自分が、二年後にお前に釣り合う立派な姿で戻ってくると約束するなど可笑しくないだろうか。できもしない約束はしてはいけないのに。
でもやっぱりそうするしかなかったんだ。そうしなければいけなかったのだから、無理でもなんでも押し通して辻褄を合わせなければいけないのだ。そのために今できることがあるのかと言われたら何一つとしてないのだけれど、でもやらなければいけないのだ。何もやれないし何の方法も何の救いもないのだけれど、わからなくてもやるのだ。わかりもしないことをやるのだ。な、馬鹿みたいだろう?