303号室から愛をこめて

何が楽しくて生きているのか

霊感少女

幼い頃から霊感少女を興味深く思っていた。
私にはそういったものがまるでない。彼女は何も無いところを指して居るとか喋っているとか言うのだ。これがハッタリや出鱈目であったとしても確かめようがない。
正直、気味悪いと思ったこともあるが、霊感が本当にあってくれたほうが幾分かマシだと思っていた。呼吸をするかのごとく平然と言うそれが嘘だった、と考える方が背筋が凍りついてしまうもの。子供ながらそんなことを思いながら彼女に目を奪われていた。


私はまるで何も感じない。とはいえ嘘だとも思っちゃいない。むしろスピリチュアルな話はわりかし好きな方だと思っている。
無駄に綺羅びやかなオバサンがFacebookアメブロで募集かけているような胡散臭いセミナーも、見た目は気色悪いが中身は全否定できないような気もしなくもない。具体的には言い表せない、しかしなんとなくだがたしかにそこにある。そんなものをどうにか説明しようとした成れの果て、なのではないかと私は思う。

とはいえ引き寄せの法則なるもの、あれなんて自己暗示だとか潜在意識だとか少し脳科学寄りの話で言うことも可能なのではないかと素人的には思うわけで。まあ言霊というのもよく聞きますけど。
しかしまあどうしてアメブロキラキラオバサン達はあんなにもわざわざスピった形にしているのか私には理解できない。


百聞は一見に如かず。
わりと好きな言葉のひとつなのだが、なんとも皮肉というか。トリックアートで思いっきり騙されアホ面で驚き喜んでいる人間の目および脳。うろ覚えでソースも不明だが、五感で知覚する情報の約8割が視覚によるものと記憶している。ようするにガバガバなんですよね。
恩師は、美しく見える女性が本当に間違いなく美しいか確かめるにはどうしたら良いか、という問を学生に投げかけた。学生は近付いてまじまじとくまなく観察すると答えた。恩師は言った。幻かもしれないのだから直接触れなければならないと。身体のパーツ全てを指で触れ、その情報をもとに脳内で立体図を描かなければならないと。
まあ、実体があるものはそれでいいだろう。

私自身、学がないため知識のない方向に話を進めるのは避けたいのだが、今回ばかりはやむを得ない。
実体のない、本当はあるのかもしれないが普通には見えないもの。質量や体積のない、というのだろうか。よくわからない。魂、精神、心……なんというかわからない。
つまり目では見えないそんなものの扱いについて。



双極性障害、私が7,8年前に診断された病名。
あえて言う必要もないし、言ったところで何も変わらない。それにまあわからないだろう。わからないから理解もない。病気に限らず、表面に現れなければ誰もわからないんだよね。色んなマークを制定して目印を付けるようになったのは合理的だと思う。

双極性障害はいわゆる躁うつ、イメージはしやすいと思う。散財など破滅的な行為までいく病的な高揚と、病的な抑うつ。それでもまあ理解は得られない。
そもそも自分でもよくわからないというのが本音で、昔はどこからが病的なのかという境界がわからなかった。特に躁。最近なんか元気だなぁという感覚。


私がしたいのはそういう話じゃない。
カニズムとしては脳の神経伝達云々らしいとはいえ、薬を信用してはいなかった。プラシーボ効果、そんなのだってある。

不眠症を訴える友人に駄菓子屋で売っている水色の瓶に入ったラムネ菓子を渡し、睡眠剤と同等の成分があるから寝たい1時間前に2錠をぬるま湯で飲んでみろと嘯いたところ彼の不眠は改善された。数ヶ月後に旅行に行ったときもカバンから水色の小瓶が見えた。実話である。

山手線ゲームで序盤に負けが込んだ後輩の罰ゲームを途中からバレないよう水に替えたところ、酒のときと何も変わらずそのまま水を飲んで静かに潰れていった。翌朝、誰よりも健康的な顔でいて水を飲む大切さを知った。実話である。

思い込みや自己暗示、催眠ほど怖いものはない。病は気から、これもある程度正しいと思う。だから自分の症状に診断された病名も、そう言われたがゆえに自分が病気に近付いていくかもしれないというのを危惧して考えないようにしてきたのはある。


だが、ここに来て私がこれまで飲んでいた薬はちゃんと効いていたんだと思い知らされた。ひどく後悔しているが、病院に行く金は最優先で用意しておくべきだった。

薬が切れて数週間。頭は常に靄がかっていて、集中ができない。書きたいことがあってもまともに書けやしない。この文章だってまともに書けている気がしない。この一つ前と二つ前も書いたものも全く書けていないし、内容も内容だったのでツイートしなかった。でもさすがに逃げるのはよそう、今日はツイートする。

話のテンポもズレているように感じる。自分のものが自分のものじゃないような感覚。思考は完全に止まるか、脈絡なく支離滅裂に広がるかの二択。判断が鈍い。正確な判断など下せそうにない。すごく寝たあとすごく起きてまたすごく寝る、イメージだが消防士のような睡眠状況。食事もそんなかんじ。

控え目に言っても異常。さすがに変だと気付いたし、これまでだんだんと治ってきていたわけではなく、ただ単に薬で抑えられていただけなんだと知った。


でもびっくりした。
欠勤の理由と体調の説明を今書いたのと同じように上司にしたら、「会話もできてるし今はもう全然問題なさそうだね、安心したよ」と言われた。
良い上司だからこそ、感情を咀嚼するのに時間を要した。無理もない、だって見えないんだもの。
上司のヘルニアはその痺れから動かしにくそうな足を見てわかるけど、私のは見えない。見えないのだから脳の神経細胞あたりを指差したって意味わからないでしょう。

現在進行系で訴えていても周りからは普通に見えているというギャップは苦しかった。まあ、普通扱いしてもらえることも、時に安心材料になるときもあるのだが。


自分が病気だと思って生きていないし、病人扱いされたいわけでもない。当然ながら理解されない苦しみは酷く耐え難いけれども、理解してほしいと願うのはわがままである。

見えないのだから仕方がない。自分自身もわからないのだから仕方がない。だけど現にあるこの異常な状態も仕方ないで済ませるには荷が重過ぎる。早くどうにかしたい。
そのために病院に行くための金を作らなきゃいけない。金を作るためには健康でなければならない。健康になるには病院に行かなければならない。この最悪な循環、ハメ技の一種と思っている。よくヘラヘラしていられるねって言われたけれど、そうしていないと保ってられないよ。まともに考えたら怖いもの。



でも何が一番怖いかと言われたら、薬を飲んだら全部普通に戻っていくところなんだよね。
私の思考や判断といったものが、薬で元に戻るというのなら良いのだけれど、もし仮に、異常な今が本当だとして強制的に好ましい在り方に戻されると考えたらどうだろうか。
私の思考とはなにか。感情とはなにか。わからなくないか?

冗談ですよ、
こんなクソみたいな状態が正しくてたまるか。