303号室から愛をこめて

何が楽しくて生きているのか

いいデートしてる?

忘れもしない16年前の11月3日、
ぼくは初めてデートというものをした。



デートとは『親しい男女が日時を決めて会うこと』らしく、否定的ではあったがおうちデートもこの定義的には間違いなくデートであることを認めなくてはならない。
認めたくはないが。

「今日はデートだから」
特に今はまだ良い感じではない女性と出かけるとき、私はデートであることを強調した。
『デートだと思えばデート』というのが私のデートの定義である。
デートだと意識したら私のことも男として認識するのではないだろうかという淡い期待もあった。
しかし一番の理由は単純にデートがしたかったからだ。

デートというものはやはり特別なもので。
計画の段階からずっと相手のことを考え続けている。
どこ行きたいかな、何したいかな、好きな食べ物はなんだろう、当日の天気はどうかな… そうだお店の予約をしなきゃ、美容院にも行かなきゃ、服どうしよう新調しようかな、ああ吹き出物できちゃってる治るかな…
ようするに当日だけがデートじゃないというより、デートが決まったその瞬間からデートは始まっている。さらに言うならデートに誘おうと思ったその瞬間からデートである。

これまでビジネスパーソン向けの記事など書いたことがなかったがひとつだけ有益な情報を提供する。
『いいデートできない男に、いい仕事はできない』
仕事で結果残したければまず、いいデートをしなさい。
まったく趣のない言い方をすれば、デートに必要なものは相手の好みや要望のリサーチ、行く場所や店の情報収集、天気や交通状況など当日起こりうることの想定…
つまり事前準備を怠らないことが必須である。
準備についてはケイスケ•ホンダも重要性を説いている。

梅雨の鎌倉デートに関して言えば脳内で軽く40回はシミュレーションしている。江ノ電を鎌倉側から藤沢に向かっていくプランも、逆のプランもある。車のプランももちろんあってプレイリストも用意してある。梅雨が明けて初夏に差し掛かったって余裕綽々で応用できる。
梅雨の鎌倉デートプランの目玉だった成就院の紫陽花が修繕工事で見られなくなっても私は焦らなかった。
なぜなら“準備”ができているから。

デートをおざなりにする男を私は許せないのである。
デートに対しては人一倍に敏感であった。メロス並みに。
もっと本気でデートをしろ、そう思わざるを得ないのだ。



16年前、2004年。
Berryz工房がメジャーデビューした年。
ついでにアテネオリンピックがあり、北島康介の「チョー気持ちいい」が流行語になって、楽天が野球に参入し、DSとPSPが発売された年らしい。
その11月3日、ぼくは初デートをしたんだ。

初めての彼女、ひとつ下の女の子
長身で年齢より大人びて見えるが笑顔には歳相応のあどけなさがある彼女に、結局ぼくは指一本触れることもできず自然消滅的に終わった。
中学に上がっても貰ったキーホルダーをいつまでも付け、引きずり続けるほど好きだったけど、お互いに幼過ぎたんだ。

デートと言っても自転車移動しかできない小学生にできることなんてたかが知れてて、チャリで市内のショッピングセンターに行ってプリクラを取って学校の校庭に寄って帰るというただそれだけのことだった。
そんなことでも未だに覚えている。

現在彼女は1児の母、私はふらふら無責任に生きている。
大学で再会した彼女とは友人としてたまに連絡を取り合う仲になっており、生まれた赤ちゃんの写真を送ってくれた。
ママに似て綺麗な女の子だった。



私がデートをこんなにも特別に思っているのは、
きっとこのときのことを後悔をしているのだと思う。
もっとできた、もっと一緒に楽しむことができた、と。

小学生のときのデートが上手くいってたとしても、彼女の赤ちゃんが僕の娘にはまずなっていないだろう。
そうではなくて、デートそのものに対しての未練だ。

その悔しさがあったからだろう。
だからこそ楽しくて充実したデートをしたいと思ったし、相手の思い出に残るデートがてきたらいいなって思った。
2人だけの、いつまでも残る思い出を作れたら最高じゃない。

2013年末、サブカルこじらせた学生である私は書店でシティーボーイのバイブルであるPOPEYEを手に取った。12年ぶりのデート特集号である。その表紙に書かれ私を刺して抉ったコピーであり、私からも全人類に問いかけたい言葉。それが


「いいデートしてる?」