303号室から愛をこめて

何が楽しくて生きているのか

選択

ひとつ想像してほしい。

若い男女が砂浜を手を繋ぎ並んで歩いている。
季節は晴天の初夏、波も高くサーファーで賑わっている。
そんなとき、突然の強風で女性の帽子がさらわれた…

このとき吹いた風を、あなたなら何と表現する?



私は『海風』と書くか、『潮風』と書くかで迷った。

一応ググってみたが別にどちらでも良さそうであった。
だから言葉の響きや字面、漢字の意味や自分の持つイメージで選択すれば良いのだろう。読者からしたらこんなところは些事に過ぎず、言ってしまえば物語に何の干渉もしない、ただの二文字。
だとしても、いや、だからこそ、こだわりたいのだ。



結論、海風に落ち着いた。

さっきの場面、海の強い風であることさえ伝われば十分だった。むしろ情報量を減らしたかった。
潮風を選ぶと海のにおいや、特有のべたつくかんじが含まれるような気がしたし、距離として海のかなり近くにいるようにも思えた。そしてある種のリアリティが感じられた。
だからこれがもし「夕方に海を眺め佇む女性の髪を乱す風」を表現するのであれば、間違いなく潮風を選んでいた。
話を戻すと、若い男女のデートで天気も気持ちも晴れやかな爽やかな青春である。ここに無粋な現実を持ち込みたくないから、海で吹く強い風だけ表現できればいいと思った。
あとづけだが、海は青いから連想的に青い風とも言えるが、風に色などないためフィクション感が強まり、さらにリアリティ感を消すことによって内面的な描写に近づく、と思えた。
海よりも潮という言葉を使った方が、より具体的で物理的な距離的も近く感覚的な現実感があると考えた。
なんとなくのイメージだが理由はこんなところだ。

余談だが、記憶が正しければ森見登美彦さんも『新釈 走れメロス』の一篇『山月記』のなかで、「アカ」という色に対しどの漢字を充てるかで悩む青年キャラクターを書いていた。とても共感した覚えがある。



物語の本編になんの関係もない部分ですら、ここまでの労力と時間をかけて選択をするのだ。人生においての選択なんてそう簡単にできるわけもないだろう。
だが人間は無意識でも毎日選択をしている。本当かは知らないが、1日にまともに選択できる回数は決まっているとも聞いたことがある。
無駄な選択は避けるべきであるとも言えるのだけれど、人生が選択の連続でできているのであれば、ずっと正しい選択をし続けるほうが無理な話である。
であればこそ、誤った選択をしたときにどうするかが大事なのではないだろうか。



以前の記事でも書いた記憶があるが、

二つの道で迷い、選択した道が結果的に失敗だったとき、
もう一方を選んでいたら大失敗だったと思うことにする。

これが大切なんじゃないかな。

当時の店長が京都に旅立つ私にくれた言葉であり、実際に千葉に帰ってきた私が救われた言葉である。実体験があるのだ、信憑性は折り紙つきだろう。



このブログを最後まで読んで失敗だと思った??
いやいや、読まなかったら大失敗でしたよ。



ナンチッテ