303号室から愛をこめて

何が楽しくて生きているのか

愛のカタチ

痛いことが何より苦手だった。
痛くするのも、痛くされるのも。

痛くされるのは、痛いからイヤ。
痛くするのは、痛いのを知ってるからイヤ。

だけどもう余裕綽々で首を絞める。




首を絞めてと頼まれた。

できることは全部応えてあげたいと思った。
こんな感情は初めてだった。愛していたんだね。

でも怖かった、殺してしまわないかと。
力の加減もわからなければ、
絞め方も当然わからないのだから。
だから一度は断った。ごめんできない、と。


そのあと猛烈に情けなくなり、
「首 絞め方」で検索かけて調べた。


まさか自分が「首 絞め方」を調べるとは……

正しい首の絞め方を覚えた私は
次回お望み通り首を絞めてあげられた。
ものすごく喜んでくれた。
その悦ぶ顔を見て心から良かったと思えた。


「首 絞め方」を検索してよかった……




愛の形は人様々で、正しいものはない。

最愛の人がいながら、
他の人を愛したって構わない。

自分だけしか見ることができないように、
監禁してしまうのだって良いと思う。

逆に他人に行為を見せつけたり、
他人と行為させたりだって愛の形だろう。


多種多様すぎるんだ、わけがわからねえよ。




そのとき、
相手のためにすることなのか
自分のためにすることなのか
で大きな差がある。

ただの性癖の押し付けなのか、
それをすることによって相手が喜んでくれるのか。

だけど、
相手が喜んでくれると思ってとか、
これが僕の歪んだ愛の形なんだとか、
そう言われちゃうと、難しいな。




貞操観念は低いとはいえ情けないことに私は性的にツマラナイ人間だから、縛ったり絞めたり噛んだり叩いたり蹴ったり踏んだり晒したり輪姦したり吐かせたり食糞させたり中出したりという癖はない。


ただちょっと顔にかけさせてほしいくらいだ。

作品の登場人物には度々お顔にかけさせていただいており、これこそ私の癖の押し付けになるわけでありますが、何卒ご了承いただきますよう心よりお願い申し上げます状態。


だから相手に対する愛情表現っていうと、相手の要望に応えるとかそんなもんくらいしか思いつかなくて。

強いて言うなら、
セックスのあとタバコ吸いたくても我慢するとか。
いやまてなんだそれ。




個人的には色んな愛の形があっていいし、それを示してもいいと思う。
ただ、相手が本当に嫌がることをしたいがために愛を言い訳にするのだけは認めたくはない。




あえて性にまつわる話で進めてきたが、日常の中で感じる愛のほうが大きいんじゃないかなと実は思っていて。

何かを買ってあげたり、どこか連れて行ってあげたり、そういうのも大事だけどもっと身近なところでさ。

なんでもない日常の幸せを一緒に作ろうと相手を想う行動こそ、何よりの愛情表現なのではないのかなと。




彼女の大好きなプリンを買って帰る、とかね。