器用貧乏
生まれたときはみんな優秀だった。
生を受ける約10ヶ月ほど前、数億個が競うサバイバルレースで見事1位になったのだから。
落ちぶれたのはいつからだろう。
私はかつて“神童”と呼ばれていた。
生まれて間もなく7歩あるいて立ち止まり、
天地を指し「天上天下唯我独尊」と宣言した。
当然のイケボである。
母の乳房を弄び円周率を導き出し、
吊り下げメリーを見て地動説を提唱し
おしゃぶりを落として万有引力を発見した。
その後も神童ぶりを遺憾なく発揮したが、
小中高と過ごし初めての挫折を味わうことに。
大学受験を失敗して浪人した。
理系のクラスにいながら文系の大学を受けるというのは私の学校では修羅の道であった。社会系の教科は独学で受験で使わない理数系の授業は週に14時間もあるからだ。
こうした言い訳もできるし、そもそも浪人に悪いイメージはないから当時も落ち込んではいなかったのだが……
歳を重ねるにつれて
自分がだいたいなんでもできることを知り、
同時に何も突き詰められないと知っていった。
ある程度なんでもできる。
努力を必要としたことなんて一度もない。
でも得意と言えるものもない。
下を見ればいくらでもいたが、
上を見たってそれは同じ。
器用貧乏、しっくりくる言葉だ。
オールマイティなどとカッコつけることもできるかもしれないが、結局のところ裏を返せば特出した能力のない平凡なキャラクターということ。
全てが平均より少し上、すべてが60点人間。
大学の偏差値など気にしたことなかったが、
いま思えば60弱、まさに中の上。
それを羨ましいと思う人もいるかもしれない。
別に思ってもらって構わない。
だが、そんな良いものでもないよ。
これまで勉強も練習もろくにせず、努力とは無縁でなるようになってきてしまったツケだ。
可もなく不可もない能力をトガらせるために初めて努力というものをしているが、これであってるのかどうかすらわからない。
もうポテンシャルだけで戦えるとか、そんなサムい幻想を言ってる場合ではないのだ。
こんな僕を褒めてくれる人がいるのも事実。
僕の文章が、考えが、声が、話が、生き様が……
自己肯定感の低いメンヘラだから
そういう評価に依存するしかないんだ。
というのは半分冗談だが、私自身ある程度これなら戦えるかもしれないと思っているところでもあるからこそ、伸ばしたいと本気で思っている。
期待に応えたい、自分のためにも。
しかしながら改めて上を見ると自分との歴然とした差に絶望するというか、近付けば近づくほど距離がわかってくるものだよ。
地上から見上げる雲はふわふわして乗れそうなのに、飛行機で雲の中に入るとそれが幻想だと思い知らされるような、それに近い感覚。
現状、勝てる気はしない。
だけど圧倒的な差に気付けるくらいにまでは近付けたんだ、もっと努力を重ねて追い抜かす勢いでやってやる。
それに一つの能力が劣っていても、
自分の戦えるものすべてで、総動員で戦えばいい。
器用貧乏だからこそ
オールマイティだからこそ
すべてが60点人間だからこそ
発想の転換である。私は私なのだ。