303号室から愛をこめて

何が楽しくて生きているのか

ハードル

嬉しいことに私の文章を褒めてくださる人がいる。
それは私にとってこの上ない喜びである。
また同時に大きな重圧になるときもある。

人間、めんどくせえよな。



学生時代、後輩の意識高い男が講義後にビラを配っていた。
ビラには『自己幸福破壊衝動について』と書いてあった。
のちに卒業式後の謝恩会で酒を酌み交わすことになる彼の所属するサークルが主催する哲学カフェ第1回目のテーマが『自己幸福破壊衝動について』らしい。
ググってもそのとおりの言葉は出てこないが、おおよその意味はなんとなくわかるだろう。
念のため、超簡単に言っておくと
「ママ、自分の幸せを自分で壊したくなるのはどうして?」
である。

当時はまだ目があった学生に片っ端から「オメェどこ中だよ」と胸ぐら掴んでは6号館の学食の席取りをさせてたから、意識の高い彼は自己幸福破壊衝動について僕から何の話も聞けぬまま食堂に一目散で駆けていった。半分冗談で半分嘘である。

当時、私にはその感覚がわからなかった。
なんで幸せを壊す必要があるのだと。
それを正直に意識の高い彼に告げた。

いつからだろう、わかるようになった。

幸せ過ぎて反動の不幸がこわい……
自分なんかがこんなにも幸せであって良いものか……
この幸せもいつか終わってしまう失ってしまうだろう……

人間、ほんとめんどくせえよな。



自己肯定感って非常に難しい問題で、
アンタは幸せになる権利がある
って外から言ったって何の意味もない。

自分自身でしか克服のできない難問だと思っている。
だけど私はあなたのすべてを認めたい。
あなたの罪を悪をすべてを許したい。
いつも頑張ってるのだって知ってるよ。
もう何も言わなくていいから抱きしめさせてくれ。



かく言う私も自己肯定感なんてものは28年の道中どこかで落っことしたらしい。落とした場所なんて思い当たる所が多すぎてわかるわけもないが、穴の開いたポケットに入れてあってそこから少しずつ落ちてたのかもしれない。歩んできた道を振り返り、落とした自己肯定感の欠片を辿って行けばヘンゼルとグレーテル。関係はないがGLAYのHOWEVER『やわらかな風が吹く この場所で』の“この場所”がビルの隙間の室外機がまとめて置かれてるところなのではないかというツイートか面白かった。

そう、私も自己肯定感か低い。

「ブログが面白い」
「温かい言葉で泣きそうになる」
「文章の構成とワードセンスが光ってて見習いたい」
本当に嬉しい言葉をいただけて励みにもなってるし、
自信にも繋がっていてもっと頑張ろうと思えている。
あたためていたことも出していこうとしているし。

ただ、おかげさまで評価してもらえるようになったら、
底を見せたくない
評価を覆されたくない
常に良く思われなければ
といった具合で自分に課すレベルが高くなってしまった。

もちろん、毎日キャリアハイを更新していくつもり。
この程度はまだまだ越えられなければならない。
だから応援してほしいしもっと褒めてほしい。
ついでに好き好きって言ってぎゅっと抱きしめてほしい。

まだまだここからなのに私は、
支離滅裂でつまらない文章を書いて自分の評価を落とす
ということも脳裏に浮かんだ。

人間、クッソめんどくせえよな。



そんな自分を、まずは抱きしめてやらないとな。